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静かな世界に響く、一つの音

自分の趣味全開で書いていく、そんなブログです。

愛着がありすぎると価値観がわからなくなってしまう

自分の持ち物で今まで使ってきたからとか、誰かからプレゼントされたものだからとかで、物の価値が変わってしまっていることはないだろうか?

例えば、今の持っているシャーペンが学生時代から使っているものだとしよう。

それと同じものが新品で店頭で並んでいたら、どちらを選ぶだろう?

私なら学生時代から使っていたものを選ぶだろう。

そこには思い出やらなんやらが詰まっている。

だが、物の価値としてどちらが上かと言えば新品に決まっている。

ではなぜ、価値が上の新品より使い古したシャーペンを選んだのか。

それは私の中の価値観で思い出が新品の商品を上回ったからだ。

 

価値観の主観と客観

このように物の価値が簡単に変わってしまう。

物の見方が主観的であるがゆえに起きてしまう。

自分にとってどちらが大切か、そばに置いておきたいかで決めてしまう。

中々ものを捨てられない人というのは、今必要であるかではなく、自分にとってどれだけ大切かで基準を立てて、取捨選択していく。

そのうえで、捨てられるものがないという状況が起こる。

客観的に見れば、何年も着ていない洋服などは本来捨てるべきものだが、もしかしたらまた着るかもしれない、または思い入れがあるとかで捨てることができない。

客観的に見ることはなかなか難しいのかもしれない。

それは自分の近くにあるものの順で判断が難しくなっていく。

私の場合、今身につけている時計や携帯、かばん、財布、それらすべて無料で新品の最新商品に変えてくれるといったところで、何のためらいもなく断るだろう。

それほど身近にあるものは自分にとって価値が高いものになっている。

自分の半身でもある存在

自分にとって特別な存在、彼氏彼女、息子娘など替えが効かない場合でも起こる。

親だったら思うだろう、そこらへんにいる子供より自分の子供の方が大事だと。

でもそれはあたりまえの感情、人として大切な感情だと思う。

だからと言って正しく認識できないのはどうなのかと思う部分もある。

例えばいじめ問題、自分の子供がいじめをしていたら正しい方向へと導くことが出来るだろうか。

大体の部分は出来るはず、しかし、そうできない親も少なからずいる。

それはなぜか?

きっと自分の子供は何らかの理由によっていじめをしてしまったのだ、と考える。

これは慢性的ないじめではなく、突発的ないじめ、ただその日の気分が悪かっただけ、もしかしたらそちらの子供が私達の子供をそういう風にしたのではないか、なんて思う人もいるのではないか。

特別だからこそ周りが見えなくなって軋みが生まれる。

孤立すればするほど相手に対して攻撃的になってしまう。

だって周りには味方がいないんだもん、どうすることもできない。

相手の気持ちを自分に重ねる

だからこそ自分の状況を把握するために、一歩視点を後ろに下げる。

主観的ではなく、客観的に周りの状況を見る。

そうすれば、今自分の立場や行動がおかしくないかが少なからず分かるはず。

相手のことを思うことが出来れば、たとえ自分の大切なものではなくとも、自分の大切なものへと置き換えて考えることが出来るはず。

なら、それを壊したら自分がどんな気持ちになるか、相手がどんな気持ちになるか、思い浮かべることが可能だ。

別次元の話

ゲームやアニメのキャラクターに思い入れを持てば持つほど、そのキャラクターには幸せになってほしいと願う。

でも現実そうならなかったらどうだろう。

とても荒れた気分になるはず。

世界観や関係を無視してでも幸せになった姿が見たかった。

手に届かない高嶺の花だとしても、それでも掴み取ってほしかった。

そう心の中では思わずにはいられない。

だからといってむやみやたらと批判するのはどうかと思う。

自分のキャラクターが幸せにならなかったからといって、幸せになったキャラクターを否定するようなことは言ってほしくない。

人それぞれ好きなキャラクターがいる、それを心のどこかで思っていてほしい。

最後に

愛着を持つのはいいことだが、自分の価値観を相手にゆだねる、または支配する、なんてことはあってはいけない。

もし感情が暴走しようとしたら、その前に考えてほしい。

一歩後ろに下がってどんな状態かを。

相手を傷つけるのはとても簡単で、それを修復するのはとても難しい。

きっとなるべく傷つけない方法があるはず、そう思って大きく視野を取って選択肢を広げよう。