静かな世界に響く、一つの音

自分の趣味全開で書いていく、そんなブログです。

人生のレールを外れるのも結構だけどやっぱりレールの上を歩きたいね

正しいレールとは何でしょう。考えても答えが浮かびません。例えるなら、私はレールの上、つまり電車に乗っているわけです。
しかしレールを外れると言えば、電車を降ろされること、もしくは自分の意思で降りることになります。そうすれば必然的に次の電車が来るのを待つか、自分の足で歩くという方法がとられるはずです。次来るのを待つというのは中々ツライものではありますが、必ず電車はやってきます。それに比べ、自分の足で歩くというのは、舞台が日本だとしてもハードな道中になると思います。それでも歩くというのなら止めはしないですが…。

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待つということ

電車に乗っていて強制的に降ろされるというのはどういう状況なのでしょう? 大部分は中の人の圧力によって降ろされるということです。電車の中、みんなで和気あいあいとやっていけるわけではありません。誰かを疎んじるもの、妬むもの、僻むもの、そういった気持ちが向けられたとき、とても恐ろしいものです。だから降りるしかない。そのままいれば地獄でしかない。抗うのもいいですが、そんなことに費やすより降りて次の電車に乗った方が、気持ちが切り替えられます。

考え方を少し変えればいいんです。電車にも色々ある。鈍行、普通、快速、通勤快速、人それぞれ乗っている電車は違います。でも世の中には満員電車というのがあります。そこでは自分一人分のスペースを確保することができないかもしれない。乗れなかったとしたらそれは諦めなのでしょうか。そこで終わりなのでしょうか。そうではないはずです。
まだまだ始まったばっかりです。その電車にこだわる必要なんてない。次の電車を待てばいい。次がだめならその次へ。そうやってゆったりと構えていればいいんだ。何を生き急ぐ必要があるのでしょうか?

歩くということ

レールから外れるということは電車から降りて一般道を行くということです。それは電車からでは行けないようなところまで行けます。窓の外から眺めてレールの外側を歩いていて自由だなと思うときもあります。しかし、眺めている景色と実際歩く道は全く違うものです。

曲がりくねってて地図がなければまともに目的地に着けない。むやみやたらと歩いている人を見かけますが、ほとんどが目的地に着けずただ歩いているだけの人です。どうしてかというと、目的地にたどり着ける人はちゃんと地図を持っているからです。そして目的地のすぐそばまで電車で乗ってきています。電車でたどり着けないと知ったから歩いたのです。ただ降りてから考えればいいやという人とは違うのです。

レールの上と外側どっちがいい?

レールの上にいるメリットは目的地に近いところまで行けるということです。歩くことのメリットはレールの上では決してたどり着けない場所に行けるということです。ただ先ほども書いたように誰もがたどり着けるとは限りません。どっちがいいのかなんてわかりません。レールの上に乗っていたとしても分岐点は無数にあります。レールの外側は迷路のように道が広がっています。必要なのは何を選択するか、ということだということです。

レールの上を歩きたいのはどうしてか

ぶっちゃけて言うと歩くのは嫌いです。疲れるし、道に迷うし。その点、電車は時間をずらせば空いてるし、早い、後ねてる間に着いてるというのもいいね。今はまだ何か一つことを創り上げるとかより、色んなことを体験したいという思いが強いな。だからレールの外側は別の世界なんだと思いながら見てる。ただその世界にも道がある。それってレールと同じことなんじゃないかな? ならどこに行ったって変わらないじゃん。本当に自由なことができるのは頂点にたどり着いて初めてできることで、そこにたどり着くまで何度も不自由だと思うことになるよ。だからある程度自由に感じる電車の中でゆっくり生きていきたいんだ。正解なんてわからないし、わかったところで険しい道なら諦める。息苦しい場所ならその場所にこだわらず、他のところに行く。レールの上とか外側とか関係なしに選択の自由はある。その選択ができるかどうか。生きられる時間は限られてるんだから有効に使わないとね。砂時計から零れた砂は二度と戻らない。すべて零れ落ちる前に見つかるといいね、自分の人生ってやつを。

 

それでは、また。