【物語】文学少年とおしゃべり少女 僕←本→少女の三十センチの距離
一本の木の下で本を読んでいた。いや読むふりをしていた、というべきか。本の開かれたページに書かれている文章を描かれた絵のように眺める。ただそうしていたいのだ。そこに一つの声が落ちてきた。
「何読んでるの?」
人懐っこそうな声が耳に届く。僕はそれに答えず、ぱらりとページをめくる。当然内容なんて頭の中に入っていない。今、話しかけられているこんな状況で、冷静にいられるわけがない。本で顔を隠しながらぼそりとつぶやく。
「……砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」
本屋で掛けてもらったブックカバーのしたのはそのタイトルが書かれていた。なぜこれを選んだかというとタイトルが目を引いたからだ。僕が本を読む理由なんてないけど、本を買う理由ならある。僕は人の目を見て話せない。それはひどいもので、文字で表すならカタカナと読点がたくさんあるようなものだ。そこで人と目を合わせず、さらに人を遠ざけるため本を買った。もともと誰かに話しかけられるような存在じゃないけど、念には念を重ねた。だが誰かが僕に話しかけてきた。それは僕が張っていた結界にいとも容易く侵入してきた。柔らかい声を聞いたときたぶん、人に好かれるんだろうなと第一印象を受けた。そしてそれは女の子の声だった。
それからというもの、本のタイトルを聞いては自分で想像して勝手にしゃべる。僕はそれを聞いている、という不思議な関係ができた。僕は彼女の顔は知らないし、彼女も僕の顔を知らない。本を挟んだ関係という、誰かに説明したら笑われるであろうものだった。
「なんだか面白そうなタイトルだね。確かに砂糖菓子の弾丸じゃあ、何も撃ちぬけないよね。でも何を撃ちぬけないんだろ?」
タイトルから内容を読み取ろうとしてうんうん唸る。僕はそれを説明する気もないし、説明できない。だけどこの時間がとても心地よく感じるのはなぜだろう。ピンと張った糸のような緊張感とそれで繋がっている心地よさは、ほかのどこでも味わえない。人と話するのはピンッどこではなくギリギリと音を立てているような感じがする。今にも壊れそうな空間で僕が声を発するとガラガラと崩れていく。また駄目だった。そんなことを繰り返すうちに僕はぼくを閉じ込めるために、本の向こう側へと逃げ込んだ。そんな中見つけてくれたのが彼女だった。
「……逆に拳銃の弾丸で撃ちぬけないで、砂糖菓子の弾で撃ちぬけるものはなんだろう?」
まだまだいろいろ考えているみたいだ。僕は今まで彼女について知ろうともしなかった。だけどこうやって考えてる彼女の声を聞いて、知りたいという思いが綿あめのように膨らんでいった。
僕は意を決して本の世界から飛び出ることにした。そっと、そっと。そっと盗み見るように本をずらし、彼女の顔を見ようとする。そして光とともにこちらを見つめる彼女の顔があった。
「バーン!!」
そういって手で銃の形を作って僕を撃ちぬいた。
「銃の弾丸だと君のハートを撃ちぬいちゃうけど、砂糖菓子の弾丸なら君のハートを撃ちぬけないよね。そして逆に銃の弾丸だと君の心は撃ちぬけないけど、砂糖菓子の弾丸なら君の心を撃ちぬけるよね」
そういって彼女はにっこりと笑った。
その表情を見て、あぁ、僕の閉じこもっていた家はレンガの家ではなく、お菓子の家だと気づいた。こんなにも脆いものだとは思わなかった。心の中の綿菓子のような複雑に絡み合った糸が一つの弾丸と混ざり合って解けていくのを感じる。
そして僕の喉から自然と声が出た。
「君の名前は?」
「ふふっ、やっと君の口から本のタイトル以外の言葉が聞けた」
そう、くすくすと笑いながら答える。
「私の名前は――」
風と共に声が舞う。その風はとても甘い香りがした。