静かな世界に響く、一つの音

自分の趣味全開で書いていく、そんなブログです。

抑圧された思いに爆発する感情

自分が自分らしくあるために行動を起こす。

誰かに否定されようと間違っていると後ろ指さされようと突き進め。

誰かの言葉なんて気にするな。

所詮そいつらは羨ましがっているだけなんだ。

自分の手の届かないところに行こうとしていることに。

だから常識を持ちだして自分が正しいと理解させようとする。

個性が大事とか言いながら結局は自分の手の中に収まるものを欲しがっている。

確かに尖りすぎたものは時には人を傷つける。

しかしそのとげがない限りこの世界に刺激は生まれない。

人々は欲している、新しい刺激を。

だから流行なんてものが生まれる。

人々を惹きつけ離さない魅力的なもの。

それは決して普通の中からは創られることはない。

異端、異常と呼ばれる普通ではない何かが、人を魅了させる。

 

 

 常日頃から思うようにしている。誰かの足を引っ張ることはしないように意識しようと。アドバイスと称して自分の意見を押し付けるなんてことはしないよう、相談と言いつつ自分の判断が正しいのだと思わせないようにしないようにと考え行動する。

 人の考えは言葉一つで簡単に変わってしまう。何気ない一言で一人の人生を変えてしまうことだってある。ただそれに気づいていないだけかもしれない。きっと人の意志が弱いのではなく環境に適応してしまうからだろう。例えば何かを言われ続ければそれを思い込んでしまう。実際は違うとしても。

 学校、社会、家庭そのどれも協調性というものを求められる。それは正しいことなのかもしれない。協調性がなければ歯車はうまく回らない。だからみんなで協力して歯車になってこの大きな歯車を回しましょうと言う。生徒のための学校なのか、学校のための生徒なのか、訳が分からなくなってくる。一人一人違うのに同じ正しさで括っていいのだろうか? 出る杭は打たれる、とはちょっと意味合いが違うが世の中がうまく回るためには、同じ高さの杭だと社会にとって都合がいい。そのために押しつぶされてたまるか、という思いがどこかにあるはずだ。

 現実では主張できないことを仮想空間、インターネットやSNSで表現する。掲示板などの類が盛んなのは社会で抑圧された思いが吐き出された一つなのかもしれない。私だってそうだ。ここに書き連ねた言葉は社会では日の目を浴びることはないだろう。だから安心して言葉を乱雑に積み重ねていく。誰が読んでいるのかわからない。でもそれでいいんだ。文字という顔も表情も見えない、男か女かもわからない、それでも共通の思いを文字を通して伝わっていく。きっとそんな見えないような細い線でつながっているのが心地よいのだ。