静かな世界に響く、一つの音

自分の趣味全開で書いていく、そんなブログです。

よくある意見の対立、話し合い、そしてその果てに

一人の傍観者の観測

「話し合いをしましょう」

そういって話し合いを始める。

私は話し合いが嫌いだ。

話し合って解決するなら話し合う必要すらない。

話し合いが必要ということは両方の意見が食い違っている場合に起こる。

さてここで問題だ。

全く違う意見なのにどうやって両者が納得できる結果が得られるのだろうか?

片方はプラスの方へ、もう片方はマイナスの方へ話の方向が行っている。

終着点なんてない、ただそこには話し合いという名の自分の意見の押し付け合いがあった。

 

「ワタシはこう思うの、あなたもそうみんなもそう思うでしょ?」

「いいえ、わたしはこう思ったわ、あなたの意見はただの押しつけではなくて?」

二人の話は平行線をたどる。

ゼロを起点とし、プラスとマイナスに別れる意見はどこまでいっても交わることは無い。

それどころか話の方向、内容自体違う、そんな気がしてならない。

これがまだ、スポーツドリンクの話でポカリスエットアクエリアスかの問題だったら多数決という強引極まりない方法で決めることもできるのだが。

多数決ならたとえ今の話し合いでも使えるだろう。

別れた全く違う意見でもどちらがいいか自分の思った方に賛成する。

たださっきも言った通り、これは最後にどうしても決められなくてする最終手段ともいえる方法だ。

誰が、どんな意見を、どんな思いを、そんなのをすべて壊して数の力で決める。

実際、個人の力なんて儚いものだ。

そんなことを思いつつガヤガヤとしている空間を切り取って、自分の世界の中に引きこもった。

一人の戦い

誰かの協力なくしては成し遂げることが出来ない、なんてことは分かってる。

そしてそれに賛成してくれる人が少ないということも。

それでも意見を出した。

このままでは自分の思いを裏切るような気がして。

その結果、このざまだ。

意見は真っ向から対立し、話し合いでどうにかしようとさせてさらにもめることになった。

どのみち両者の意見は水と油の関係と同じだ。

こうなることは目に見えていた。

そしてわたしは自分から折れることに決めた。

「多数決で決めましょう」

そういって分かりやすいように両方の意見を書きだす。

それを見てそれぞれ各々の頭で考えはじめる。

頃合いを見計らって「それでは多数決を取ります」という声が聞こえる。

真っ先に自分の意見に手を挙げる。

回りを見るとちらほら手が挙がるのが見えた。

こんなものか、そう思った。

結局、もう一人の意見に決まった。

わたしの意見は何事もなかったかのように今は話がスムーズに進んでいる。

わたしがしたことはただ問題をいたずらに大きくしただけだったのだろうか。

そんなことを思いつつぼんやりと前を見つめる。

わたしの頭の中だけはさっきの話し合いもとい意見の押し付け合いを、ずっとし続けている。

これは後悔という感情なのだろうか。

それともまた別なものなのだろうか。

そんなことはもうどうでもよくなり、顔を伏せうずくまる。

雨など降るはずないのに顔が濡れていた。

 実現と正しさ

どうして正しいことを正しいと認められないのかしら。

みんなそれとなくワタシの意見に賛成を示していた。

それを否定するかのようにもう一つの意見を出してきた。

おとなしく見てられないのかしら。

あなたの意見は少数でしかないの。

世の中、少数は少数でしかなく、その意見は淘汰される。

そんなことも分からず、だだ時間を無意味に費やす。

話し合い?

話し合いにもなってないじゃない?

意見の言い合いをして話し合いをしている気になっているだけ。

ええ、それはまるで人形劇を見ているようで滑稽でしたわ。

実際商品になっているものとこれから実験して商品になるかどうかもわからないもの、そのどちらが良いかなんて話し合う必要なんてない。

この場で必要とされているのは商品になっていて、確固たる理由を示せるもの。

それが出来なければそれはただの理想論なの。

そんなことも分からず意見したのかしら?

結局は多数決になりましたが、もちろんワタシの意見で決まりですわ。

さて、これから話をどうやって進めていこうかしら?