自分と不安と社会
個人で考えられる範囲は自分が思っているよりも狭い。
答えを探しても見つからない、なんてことは日常茶飯事である。
それでも答えを求めて手を伸ばす。
両腕いっぱいに広げ、情報の霧の中を歩いていく。
やみくもに歩いても見つからないのはわかっている。
それでも歩みを止めない、止めてはいけない。
立ち止まってしまったら、もう二度と答えには近づけないから。
その思いはきっと誰もが抱える、不安というもの。
それはじわりじわりと心の内側から広がってくる。
真っ白な紙に黒いインクを一滴ずつ垂らしていくように。
心の中に不安が芽生えると、今自分が立っている地面がパキパキと音を立てて崩れてく。
子供の頃体験したことはないだろうか。
田んぼでの田植え体験で泥の中に足を突っ込むとズブズブとハマっていく。
そして次の一歩を踏み出そうとした瞬間足が上がらなかったこと。
もしくはバランスを崩し尻もちをついて大変なことになったこと。
不安とは心の中で育つといつか足かせになる。
次の一歩が重く、今の場所でずっと動けなくなってしまう。
やがて足をあげる努力を止め、このままでいようと考え始める。
きっと抜け出せないのだからと。
この世の中いろんな意味で不安定だ。
だからせめても自分の足場だけは固めよう、そう考える。
それは潜在意識ように深い海の中、光も届かぬ奥底でひっそり眠る貝のように、殻の中に閉じこもっている。
しかしそれで良いのだろうか。
きっとそのままでは変わらないと、頭の中ではわかっている。
必要なのは安定した足場でも、同じ場所に居続けることでもない。
不安定な場所をいかに上手く渡る判断力。
自分の理想を現実へと近づけるよう答えを探し続けること。
大切なのは自分の心に従って生きる。
ただそれだけなのに、どうしてかこんなにも生きにくいセカイに感じるのか。