静かな世界に響く、一つの音

自分の趣味全開で書いていく、そんなブログです。

人と人と世界の在り方

 人に理解されたいとは思いませんか? 何かあったら話して「うんうん、そうだよね」と言ってもらいたくはありませんか? まるで鏡のように相手の中にある自分を見ている、そんな気がします。その自分に理解されたいと思っています。つまり自分では肯定出来ないことを相手に肯定してもらうことによって安心感を得るのです。自分で自分を良いんだよと言えないから相手に言ってもらう。そんなコミュニケーションをとることはありませんか? たとえば仕事でよく出来たなと思っても自分だけでは心配になる。そして相手に求める。自分はしっかり仕事ができたでしょうかと。その相手に認めてもらうことによって自分がようやく認められた気がするのです。

 

 今の世の中、自分で自分を認めることが難しくなっている気がします。なぜならそれは自意識過剰と呼ばれたり、出来て当たり前と呼ばれたり、誰かと比べられることが前提になっているからです。最初に今の世の中と付けましたが、昔も変わっていないのかもしれません。一人ひとりを認めてもらうには何かが足りないのでしょうか? 個性でしょうか、それとも一人でやり遂げる力でしょうか、いずれにしても他の人とは違うということをアピールしなければいけないような気がしてならないです。

 この世界は色に染まりつつあります。それも色とりどりではなく一色の色に。だから個性と鮮やかな色を持った人を排除しようとします。それは色に合わないからです。真っ白なキャンバスに黒い点があれば目立つでしょう。ですがそれは美しくない。だから消すのです。何もなかったかのように、全て白に染めて。こんなことを繰り返していたらいつまでたっても世界は色づきません。なのに色を拒絶する、おかしいですよね。色が欲しいと言って、結局は邪魔扱いされる。ならば最初から求めなければいいのです。この世界は白かった。だからこれからも白を守っていこうと。

 ですが人々は求めているのです。この真っ白な世界に新たな色が来ることを。その色はみんなに希望を与えます。このくだらないセカイにもまだ見どころがあったんだ、そう思えるのです。いつまでも続く白い景色の中、一輪の花が咲いていたら喜ぶでしょうか、恐れるでしょうか? 世界に持ち込まれた新たなものは池に石を投げた時にできる波紋のように広がっていきます。そして人々の感情がざわめきはじめる。そして色んな力が働きます。元の真っ白で何もない世界に戻そうとするもの、新たに芽生えたものを大事に育て上げようとするもの。どちらが正しいということは無い。でも世界の力は強力で半端なものでは押しつぶされてしまう。

 拒否しているわけではなく、受け入れるのが難しいということです。世界の色の関係は人間の関係とよく似ています。個性という新しいものには、受け入れることが出来ず、拒絶してしまう人がいる。それだけなら良かった。それならそのままでいられる。ですが押しつぶそう、塗りつぶそうとしようとする人が現れるのです。強い意志がなければやがて塗りつぶされてしまうでしょう、色は跡形もなく、あるのは白だけ。そんな世界で私たちは生きています。ただ自分の色を認めてほしいという感情は、あなたはあなたでいいんだよと抱きしめてほしいのです。ただの白ではまるで自分がいないような気がして怖いのです。自分で自分を認めることが出来ればどんなに楽でしょう。それが出来れば新たな色を世界に持ち込むことができる可能性を秘めています。そうではない人は相手と繋がり、自分の色を確認する。そうやって寄り添うように頼りない細い糸でつながるのです。

 人は一人では寂しいですから、人と人の間で生まれるものを求め人間になるのです。きっと埋められないパズルのピースを探し続けるでしょう。欠けていることを欠けていると認められず、完璧を目指す。それは正しい行動なのでしょうか? 私はそうは思いません。欠けているのはもともとです。どんな形をしていてもそれはこの世界に咲く花の一つなのです。完璧でなくともそれでいいと思います。

 そう思っていても声を上げるのです。色んな物を通して。私の場合はここでしょうか。誰かに理解されたいと願い生まれたものが、この場所なのかもしれません。届いていますでしょうか、この思い。