便利になっていく世の中、適応していく人々
まずはゲームの話をしよう。
家庭用ゲームを遊ぶには本体とソフトが必要だ。
揃えようと思うと約三万円~四万円ほどかかる。
自分にとってはあたりまえだった。
しかし、今家庭用ゲームは緩やかに衰退していっている。
その原因はスマホやネットが関係している。
わざわざゲーム機本体を買わなくともゲームが出来る、そんな環境がいつの間にか出来上がっていた。
そして人はその流れに乗るように、上流から下流へと水が流れるように、家庭用ゲームから手軽にできるスマホゲームに流れた。
世の中が便利になるにつれ、時間が増え有効活用できると思っていた。
でも実際は違っていた。
時代の流れ
昔は手動でやっていたことを今では自動になっている、そんなものがたくさんある。
書類を作成するとき、手書きだったのが今ではパソコンに打ち込むだけ。
その書類は紙としての情報ではなく、データとして管理できるようになった。
そしてそれは誰にでも扱えるようより簡単に操作できるよう進化してきた。
しかしなぜか、体感として変わった気がしない。
何故だろう、疑問に思い、ふと思い当たる。
便利になるにつれ、そして時間が経つにつれ情報の量が増えていく。
昔では扱える人が少なかったから、ある一定の範囲までしかできなかった。
だが、誰にでも扱えるようになったらどうするだろう。
そして企業は考える、もっと人を集め規模を大きくしようと。
その結果、いつまでたっても一人あたりの仕事量が変わらない。
時間だって増えはしない、短時間でできるようになった分、仕事量が増え今までと変わらない生活に戻る。
腰を据えてゲームをやる時間がない、なら短時間で出来るスマホでゲームをやろう。
そんな流れがいつの間にか出来上がっていた。
もちろん携帯用ゲーム機だってある。
しかし、手軽に本格的にというものを求めていたのではなかった。
ゲーム一つクリアするのに、何十時間も掛けてられない。
いや、掛けられないのかもしれない。
ということもあって、時代と合わせ、手軽に簡単に短時間でというのを求めた。
昔から今へ
駄菓子屋とかでしかできなかったアーケードゲームが次に、家で出来るようになり、家庭用ゲームで出来ることが、今度は外でも遊べるよう携帯用ゲームとして発売され、さらにはゲーム機すら必要ないスマホゲームが登場した。
この中でスマホゲームが人気になった理由は、基本無料ということにあるだろう。
ふつうゲームを遊ぶにはゲームソフトを買わなければならない。
安くて四千円台、高くて一万円近くするものもある。
それを最初に払わなければならない。
その敷居の高さがゲームに関心のない人にとって、大きな壁となっていた。
その壁とぶち壊したのが基本無料というシステム。
これならゲームに関心がない人でも手軽に手に取ってもらえる。
そして今、ゲームをしてた人もその渦に巻き込んだ。
変わりゆくコンテンツたち
別の話に変わるが、アニメも時代によって変わった。
昔は、毎週同じ時間にテレビの前に座ってみることしかできなかった。
しかしビデオという存在がその当たり前に光景を壊した。
その時間に見ることが出来なくとも、後で見ることもできるようになった。
さらに、同時に録画できる機能が作られてからは、ビデオ一覧を見ると未試聴のものがたくさんあるという状況ができるくらいに、圧倒的に変化と遂げた。
音楽もその一つ。
CDショップに行って手に取って買わなくとも、インターネットで無料で聴くことが出来る。
最後に
昔苦労したことが今はそんな苦労しなくてもいい時代になった。
コンテンツの無料化。
それは多くの人を引き付けた。
それが当たり前の時代になった今、有料コンテンツはどうすれば再び人を引き付けることができるのか。
便利になっていく世の中に、対抗するようにある固定的なコンテンツは適応していく人々にとってもう過去の遺産なのか。
望んでいる人がいる限り無くなりはしない、と私個人としては思いたい。